「倫理とAI」考察メモ
伝える力と欺きは、対になって生まれるのか
2026年10月19日
この考察メモは、高橋とAIアシスタント(Copilot SDK in VS Code/使用モデル:GPT 6.1 Sol)との協働で作成しました。
鳥に倫理観があるかどうかではなく、嘘の発生によって、倫理という問題がすでに提起されるのではないか。
これは11月28日の同期会に向けた考察の記録です。講演原稿や学術的な結論、幹事会で承認された見解ではありません。
1. 起点――シジュウカラの「嘘」
鈴木俊貴さんのインタビューでは、シジュウカラが、タカがいないのに警戒の声を出し、 餌を食べているリスを逃がして、自分が餌を得る行動が紹介されています。 ここで注目したいのは、情報が種を越えて伝わり、その情報を使って相手の行動を変えられることです。
出典:ほぼ日・鈴木俊貴さんインタビュー(2025年8月1日)。上記は記事の要約であり、以下の倫理・進化・AIへの接続は今回の対話での考察です。
2. 倫理観の有無と、倫理が問題になることは別
高橋の問題提起は、「鳥にも人間と同じ善悪の判断がある」と主張することではありません。 鳥に倫理観があるかどうかは不明でも、嘘が発生すること自体が、倫理という問題を提起する、というものです。
対話ではこれを、「倫理観を持つ主体がいつ現れたか」と 「倫理が問題になる関係がいつ生まれたか」を分けて考える視点として整理しました。 相手に情報が伝わり、その情報に基づいて相手が行動する関係は、 助け合いの基盤にもなれば、相手を欺いて利用する基盤にもなります。
そう考えると、倫理は人間社会で突然加わった規則というだけでなく、 生命同士の関係に遡って考えられる根底的な問題ではないか。 さらに生命を宇宙の進化の中に位置づけるとき、倫理をどのように捉えられるか。 これが今回探りたい問いです。
3. 対になるものは、ほとんど同時に発生するのではないか
高橋は、情報伝達と欺きのような対は、ほとんど同時に発生するのではないかと考えています。 ある仕組みが成立すると、それを利用する可能性も同時に開かれる、という着想です。 生物とウイルスもほぼ同時に発生したのではないか、という考えが、この着想の背景にあります。
ただし、生物とウイルスの起源や発生順序について、この対話で科学的な検証をしたわけではありません。 ウイルスの起源には複数の仮説があり、生命とのほぼ同時の発生を確定した事実として扱いません。 また、ウイルスを道徳的な「悪」とみなしたり、生物とウイルスをそのまま善悪の対に対応させたりする趣旨ではありません。
対話では、次の二つを区別することで、着想をより明確にできると整理しました。
- 構造上の対:情報を伝えられる仕組みの成立は、その仕組みを欺きにも利用できる可能性を開く。
- 歴史的な同時発生:その可能性が実際にいつ現れたか、ほぼ同時だったかは、別途検証する仮説である。
「対になって可能になること」と「実際に同じ時期に発生したこと」は、同じ主張ではありません。
4. 自然にあることと、善いことも別
欺きが自然界に存在し、生存上有利になる場合があっても、それによって欺きが「善い」と決まるわけではありません。 生じる仕組みを説明することと、私たちがどう振る舞うべきかを考えることは区別する必要があります。
生命の進化に遡るのは、人間の倫理を否定するためではなく、その問題が生まれる根を考えるためです。
5. 倫理の核心としての「恕」
では、その関係の中で、私たちはどう振る舞えばよいのか。 高橋は、倫理は結局、論語のいう「恕」に尽きるのではないかと考えています。
子貢問ひて曰く、「一言にして終身之を行ふべき者有るか」と。子曰く、「其れ恕や(か)。己の欲せざる所人に施すこと勿かれ」
出典:『論語』衛霊公篇。書き下し文は高橋が提示した表記です。
一生を通して実践すべきことを一言で表すなら何か、という子貢の問いに、 孔子は「恕」、すなわち、自分が望まないことを他人にしないことを挙げます。 相手の立場に身を置き、その人が受けることを、自分にも関わることとして考える。 今回の考察では、この姿勢を倫理の核心として捉えたいと思います。
自分が欺かれ、判断を操られ、利用されることを望まないなら、相手にもそれをしない。 情報が伝わる関係に欺きの可能性が生まれるからこそ、その力をどう使うかについて「恕」が問われる、 というつながりです。
これは、高橋が今回の発信の軸に据えたい倫理観であり、倫理学のすべての論点が解決済みという意味ではありません。 自分と相手の望みが同じとは限らないので、自分の好みを当てはめるだけでなく、 相手の事情や意思にも耳を傾けることが大切になります。
6. AIの可能性と悪用を、切り離さずに考える
この視点からAIを見ると、人を助ける力の拡大は、その力を悪用する可能性の拡大とも切り離せません。 情報を分かりやすく伝える力や、本物らしい声・映像を作る力は、人を支えるためにも、欺くためにも使われ得ます。
悪用を、進歩の後から付け加わる例外としてだけでなく、 可能性が開かれるときから一緒に考えるべき問題として捉えたい。 AIを使うことと、それを何のために、どう使うかという倫理を、切り離さずに考えるという提案です。 これは、AI自身に倫理観や悪意があると決めつけるものではありません。
「恕」は、AIを作り、提供し、使う私たちの姿勢にもつながります。 自分がされたくない欺きや操作を、AIで他人にしない。 技術的にできるかだけでなく、その使い方が相手に何をもたらすかを考えることです。
対処も、一人で全てを見抜くことだけに頼らず、 急がせる連絡には立ち止まり、普段の連絡先で確かめ、困ったら相談する。 同期生どうしで知恵や経験を持ち寄り、支え合うことへつなげたいと思います。
昨年のCI(Collective Intelligence / 集団知性)構想を変えるのではなく、 「集めた知恵や力を、何のために使うか」という別の角度から、同じ取り組みを深める位置づけです。